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白内障の手術は、白く濁った水晶体という部分を取り除いてしまうというものです。取り除いてしまってからのケアには大きく二つに分けられるそうです。
①水晶体のかわりに眼内レンズとよばれるものを入れ、足りない視力をメガネで補う。
②何も入れずコンタクトレンズで視力を出していく
①は三歳以上でないとできないらしく、生後二ヶ月のマアちゃんは②の方法をとることになりました。
最初の手術は3月3日。初節句の日だったのでよく覚えています。左眼の手術をしました。その後経過良好なのをみて2週間後右目の手術をしました。
本来なら母親がそばにいてあげるのがベストなのですが、マアちゃんには上に二人の小さなお姉ちゃん達がいたため、病院に完全看護をお願いしたのです。ほぼ毎日、着替えやら持って行ったりしましたが、会える時間は長くても5~10分程度。病室にはお姉ちゃん達を連れて入れなかったため、病棟の入り口で面会するしかなかったからです。合計1ヶ月間マアちゃんは病院で育てられました。病棟の看護士の方々には本当にかわいがってもらって感謝しています。
生後二ヶ月のマアちゃんは手術後すぐにコンタクトレンズをつけて生活しなくてはなりませんでした。「物を見る」環境をつくっておかないと、目が「物を見ようとしなくなる」のだそうです。水晶体に濁りが広がったままの状態もそうですが、手術後に水晶体をとってしまった後も「極度の遠視」という状態だそうですから「物を見る」環境としてはかなり悪い・・・そういった状況が長く続けば弱視になるのだそうです。
手術は早いほうがいい。そして早急にコンタクトレンズで環境を整えてやることが、マアちゃんの今後の視力の伸びを左右するのです。・・・が、コンタクトレンズ・・・生後数ヶ月の赤ちゃんに毎日のつけはずしは当然本人ができるはずもなく、親がすることになります。この特訓を受けました。
最初、先生がやってみせてくれた時には
「え? これ、私がすんの?!」
って思いましたよぉ・・・。左手でマアちゃんのまぶたの上下をググッと開けて右手でレンズをすべりこませる・・・当然、当の本人は泣き叫んでるわけです。
でも、ここでひるんでなんかいられない。マアちゃんを早くこのグルグルから解き放ってあげるためにも(生後二ヶ月とはいえ泣くと手足をバタバタさせるので、病院の処置室によくあるマジックテープの拘束帯でミノムシ状態にされているのです)、そして何より早く手術の日程を決めてもらう為にも、何度も何度もコンタクトの着脱を練習しました。
手術後の目はとても弱くなっていて、黒目の部分を押さえてしまうと失明の危険もあると聞かされました。
「そんな目にコンタクトレンズをはめるなんて・・・素人がしてもいいの?! でも母親だし当然よね、毎朝毎夕コンタクトの着脱に病院に通ってやってもらうなんて不可能なんだし。」
心の中でそんな葛藤を繰り返しながら、汗だくになって練習しました。
私がコンタクトを着脱できなければ、手術をしてもマアちゃんの視力が上がることはなくすべてが無意味に終わってしまうのです。
特訓が終わって部屋を出るときには、マアちゃんの両まぶたはいつも真っ赤にはれあがっていましたっけ。
目をレンズに慣らすために、1時間からはじまり最終的に10時間まで・・・1日1時間ずつ装着時間は増えていきます。
加えて、退院時に渡された目薬4種類。これを先生の支持があるまで一日6回(4時間おき)からはじまり最終的には一日1回のペースでさしていかなくてはいけませんでした。上のお姉ちゃん達の世話をしながら、これを続けていくのにはやはりノートが必要でした。
コンタクトをつけた時間。目薬をさした時間。ノートがないと覚えてられませんでした。
コンタクトの着脱がスムーズにできるようになるまでには、1ヶ月・・・どころか3ヶ月ほどかかったかもしれません。相当の時間がかかりました。
もう死闘といってもいいくらい(^O^)
自慢ではありませんが、病院の特訓では私はかなり「上達が早い」と言われていました。
実際、病院ではそう手間取ることもなく着脱できるようになってもいました。
・・・でも、環境が違うとやはりそうもいかないんですねぇ・・・。
考えてみれば、病院での特訓では看護士さんが一人ついていてくれてマアちゃんを押さえてくれているわけだし、レンズをつけやすいような高さのベッドも、拘束帯も揃っているという環境があったんですものね。
自分一人で、どういった体勢が一番着脱しやすいかを見つけるまで、その死闘は続きました。
最初は片目をはめるのに15分以上かかっていたと思います。両目で計30分ほど。
加えて目薬4種類をさすのにもやはり同じくらいの時間がかかったかも。
本人も大泣きでしたが、私も泣きたかった・・・ていうか、泣いちゃったこともありましたF^_^;
生後3ヶ月から6ヶ月くらいまでの間、私がやっていた着脱法です。
ベビーベッドの片側柵を下ろし、下ろした側に頭がくるように寝かせます。
このとき、大判バスタオルなどで首から下をグルグル巻きにしてやると動きません。
私はベッド脇にひざをついて、マアちゃんの頭の上からのぞくようにして着脱していました。
ポイントは「目をできるだけ大きく開けること」。
ちょうど眉のある位置に骨も山になってあります。その部分に自分の人差し指の第一関節を押しあて、
上に(本人のおでこ側)スライドしつつ指先でまぶたを持ち上げる・・・と、術後の弱い眼球にさわらず
まぶたをあけることができます。あとは中指で下まぶたをあけます。
大きく開いた目にはレンズも乗せやすいです。
だいたいこの方法に慣れたかなあ・・・と思う頃、また次の山場がやってきます。
手術前はまったく見えていなかったはずです。瞳の部分に、あれだけ広範囲に「もや」があった状態では、くもりガラスの向こうから見ていることと同じだったでしょう。まあ、もともと生まれたばかりの赤ちゃんは見えていないといわれますが、生後1ヶ月くらいから追視(物を目で追いかけること)をはじめます。マアちゃんは薄暗い部屋で豆球などの光は目で追うものの、昼間、私が指を動かしてみても目で追うことはありませんでした。
手術後・・・
水晶体をとり(無水晶体眼)極度の遠視ではあるものの、くもりは消えました。ぼんやりながらも、マアちゃんはここではじめて私の顔を見ることができたんですねぇ・・・。同じ月齢のお友達と2ヶ月の差で「物を見る」ことをはじめました。
術後、経過をみてコンタクトレンズの装着をはじめました。
マアちゃんは、両眼の手術が終わり経過良好のGOサインが出てから、両眼同時にレンズの装着をはじめました。先に片眼だけ「見える環境」を整えてしまうと、両眼の視力に差が出てしまうためです。
視力はレンズをはめ、環境が整った状態を維持していけば、普通の子供と同じように視力も上がっていきます。マアちゃんも、術後1年半経過した現在では同じ月齢の子の平均視力が出ています(もちろん、コンタクトを装着した上での視力です)。このペースでいけば、最終的には1.0くらいまでは上がっていくんじゃないかといわれています。マアちゃんは早期に発見でき、早いうちに手術できたことが良かったようです。これがあと3ヶ月も送れていると、最終的な視力は1.0には届かず、コンタクトレンズをした上からさらにメガネをかける・・・ということになるのだそうです。
レンズは片方7000円。両方で14000円。
紛失、破損した場合はその都度注文しなくてはなりません。
病院に連絡すれば、病院からレンズ屋さんに注文してくれて代引きでこちらに届きます。
連絡してから2週間ほどかかります。
もう何枚注文したことか・・・
目をこすったり、転んだりするとポロッと落ちるらしいのです。
落ちたときに本人に何らかの反応があればすぐに気が付くのですが、
なかなかそうもいかない。
気が付いた時には、もう部屋中はいつくばって探すしかないのです。
そうやって運良く見つけても破損していたり、キズが入っていたり・・・。
そのたびに7000円とんでいきます。
コンタクトレンズ破産しそうでした、ホントに。
ちなみに、レンズにキズが入っただけの場合・・・
研磨してもらえば使用可能です。(研磨は無料)
ただし、研磨する分、度数が違ってくるためあくまでもスペアとしてしか使えません。
術後の眼は、とても弱い状態です。
何かが目に当たったりすることはもちろん、赤ちゃんが自分の手で目をこすったりすることも厳禁。
マアちゃんは術後数ヶ月・・・(2,3ヶ月)は「カッペ」と呼ばれる保護用のフタをしていました。マアちゃんがしていたものは透明のプラスティックのもので、ウルトラマンの目のような形をしています。それを医療用テープで貼り付けています。
何も知らずに、バギーのカバーでかくれたマアちゃんの顔をみると
「まあ・・・かわいい・・・」
で、絶句してしまう人もいました。
カッペそのものもちょっと異様な雰囲気なのに、それを囲むように貼り付けられているテープがまた更に異様なんですもんね。
先生の許可が出て、「カッペ」を外せるようになってからも、一度手術した眼は、そうでない眼に比べてやはり弱いらしいです。
ガラクトース血症・・・とても難しい病気で私のような素人が説明できるようなものではないのですが、「糖質代謝異常」というものらしいです。
これは赤ちゃんが生まれてすぐにおこなう「先天性代謝異常検査」の項目にはいっており、通常は一ヶ月検診のときにその結果を聞かされます。
実はこの病気、目の水晶体に影響を与えるらしく、結果「白内障」をおこすのだそうです。
産院から退院してから連れて行った眼科の先生が、私からマアちゃんの症状を聞いて顔色を変えたのも、実はこの「ガラクトース血症」ではないかと疑ったからだったのでした。先生は検査の後、私に
「もう一つ恐い病気があるんだけど、白内障でよかった」
と言って、見るからに安堵されていました。
先天性白内障は、親がそうであった場合かなり高い確率で遺伝するのだそうです。
「三人いて症状が出たのが一人だけなのは運がいい」
先生にそういわれました。
症状が出たのがマアちゃんだけでも、他の二人も因子は持っている・・・そう思っていたのですが、先日それを確かめようと恐る恐るたずねたところ
「その可能性はとても低い」
あくまでも症状の出た子だけその因子を持っているのであって、ほかの二人が産んだ子供にこの症状が出る確率は「健常者並」に等しい・・・と言われました。
0パーセントではないけれども、ほとんどない・・・。
マアちゃんと同時期に、同じ先天性白内障の手術をした赤ちゃんが二人いました。でも、その二人の赤ちゃんのお母さん達は
「私達にはそんな近親者はいない」
と言っていました。
実際、私自身もそうなのです。
私の父も母も先天性の白内障ではありません。
健常者同士でも確率はゼロではないのです。
最初に気がついたのは、生後二日目・・・初めて母乳をあげる為に抱っこしたときでした。最初は部屋の蛍光灯の光がうつりこんでいるんだと思ってたんです。でも、抱っこして角度をかえてみても、その白いもやは消えなかった。
「白内障だ・・・」どーんと重たいものが体の中に落ちてきたようでした。
実は私自身が「先天性白内障」なのです。私の場合は「モノを見る部分」にもやがかかっていないため手術の必要もなく、私自身その病気を忘れてしまうほど何の支障もないのです。この病気が遺伝する可能性があることはいつの時点でか知らされていて、パパにも結婚前にそういった話はしてありました。が、そんな可能性はほとんどないと、信じ込んでしまってたんです。自分が何の支障もない軽症だから、もし遺伝したとしても大事にはならない・・・何の根拠もなくそんな風に思ってました。後に眼科の先生から
「三人いて一人しか遺伝しなかったのは運が良い」
と言われるほど、実際には親が先天性白内障であった場合かなりの確率で遺伝するのだと知るのですが・・・。
私とマアちゃんも、試行錯誤の連続でした。
マアちゃんの場合、その抵抗はまさに「まぶた」でした。開けようとしてもギュウウウウッとつぶっているので、まぶたが裏返ってしまうんです。いやあ・・・これでは入れられない・・・。
そこでまず私が試したのは・・・
赤ちゃんって風が顔面にあたるとちょっとびっくりしますよね? それを利用して(?)、目に「ふーーーーーっ」と息を吹きかけるとびっくりしてぱっちり目を開けてくれるんです。その隙に入れてしまうというもの。これはしかしながら一瞬芸です。それに、この「息吹きかけ戦法」にも1週間ほどですぐに慣れちゃって、またもや苦戦。
結局、まぶたと目の隙間に滑り込ませるしかないんです。なんにしてもまぶたが裏返っている状態では入れられないので、何度もトライして裏返ってないときをねらってすべりこませる。文字で書くと簡単ですが、実際は本当に大変な作業ですよ。でも、ここであきらめるわけにはいかないんですもんね。あきらめたら、せっかく手術してもらって見えるようになった目も、見えなくなっちゃうんですもん。まさに「歯を食いしばって」続けていくしかないんです。
長女オオネエ(大きいお姉ちゃん)・・小学1年生
次女チイネエ(小さいお姉ちゃん)・・幼稚園年長さん
三女マアちゃん・・幼稚園年少さん
三人三様、笑って泣いて怒って・・・ドタバタと毎日が過ぎていきます。
このブログでは、三女マアちゃんの先天性白内障、無水晶体眼について記録しています。